「真面目」って果たして本当に美徳なのだろうか



ここ一年?もう少し前?くらいから時々思っていることがありまして、「果たして真面目であることって、本当に美徳なんだろうか...」ということです。
どうなんですかね…
私は真面目とは対照的な人間なので、真面目な人って心底尊敬しているのです。文句も言わずに黙々とやるべきことに取り組める人って、本当にすごいなと。どうして私はああなれなかったのかと思います。
だけど、なんとなくここ数年見てきたことを振り返ると、真面目がゆえにつらい目にあっている人も多いような気がするのです。

たとえば過労死もその極端な例のひとつだと思います。
テキトーな人間とか、根性なしだったら「こんなところで働いてられっかバーカ!」と後ろ足で砂かけて逃げ出すところを、真面目な人は頑張って頑張って続けてしまう。
そして心身が悲鳴を上げて、最悪の結果をもたらしてしまう。

↓こんな本もありますね(読んでないw)



あと、真面目がゆえに、好機を逃す人も多い気がします。
真面目な人って、用心深いんだよね…
だから、「これ、チャンスじゃないか!」って思うような場面でも、「まだまだ自分なんて」とか言って、その好機を逃してしまったり。

さらに、「こうあらねば」みたいな信念が頑なだと、やっぱりチャンスを逃したり、本来の目標を見失ったりしがちだと思います。
なんつーか、自分の理想のプロセス、ステップにこだわるあまり、近道やかんたんなルートがあってもそれを選択しないんだよね…

具体例を出しますと、わたくしのカレッジ時代の話なんですが、友達のコリアン男子と、中国人男子が、まー真面目な青年たちで。(その二人はお互い面識なし)
で、タイミングはばらばらだったんですが、例のCOOP(実習、インターンのようなもの)にあたって、とにかく自分たちで実習先を探さないとならないわけです。

で、その時の私たちのもっかの目標、ゴールというのは、「とにかくCOOPを終わらせて卒業する」ことなわけです。そのあとになって初めて「憧れの職業を目指す」とか「永住権に申請する」といった展開が広がるわけです。

しかしその二人はCOOP先を探す時点から、いろいろとこだわりがあったのです。
中国人男子は自分が就きたい職種があったのですが、それは正直私たちのプログラムや彼の経歴からすると、相当ハードルの高いものでした。
コリアン男子は、(前にも何度か書いたかもしれませんが)母国の企業から派遣されて来ていた身だったため、「会社に恥じないよう、現地の企業に絞って探す!」と決めてしまっていました。

で、結果からいうと、二人とも理想のCOOP先は見つけられませんでした。
(厳密に言うと、中国人男子の方はだんだんこちらも聞きづらくなってしまい、どこでCOOPを修了して卒業にこぎつけたか不明… でも彼からはっきりとした報告がなかったので、なんとなく察した次第…)

彼らの真面目さが完全に裏目に出た例だと思います。

もちろん私は真面目であることを否定するつもりはありません。
彼らの勉強熱心なところや、こつこつと努力を重ねる姿に私も良い影響を受けましたし、今でも本当に尊敬しています。
が、それゆえに、彼らがチャンスを逃したりする姿を見ると歯がゆいしクヤシイわけです。(余計なお世話)

そしてこんな例を見るまでもなく、日本には「真面目なゆえに心身を病んでしまった人」「真面目なばかりにブラック企業を抜け出せない人」等々がゴロゴロしているではないですか!

なので私はとても混乱しているわけです。

もしも自分、あるいは身内に子供がいたら、真面目に努力を続けられる人間に育てるのか。
それとも、何でも適度にやりなさいと教えるのか。


今回もまたオチも答えもないまま、モヤモヤと終わるわけです。


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