何のとりえもない、何もしたくない人たちのこれからは…



なんかめっちゃ絶望的なタイトル…
昨日の続きのような、そうでもないような感じですが、書きます。
何の特技も、とりえもなくて、更に、特にしたいことがない人って結構いるのではないかと思います。私もでーす!(まあ、こうやって文章を書くことは好きですが…)スポーツダメ、音楽の才能ゼロ、料理はするけど人様にお見せできるレベルではなく、ゲームもしなけりゃマンガもほぼ読まね。…って書いてると、普段マジで何して生きてんの?って感じですな…

それでも昨日書いた通り、誰でも何かしらの長所はあると思うんですよね。
で、そういう長所を生かして、短所を補い合いながら、みんなで頑張っていけばいいじゃない、という話が昨日のブログでした。

そしてそんな折に、こんなネット記事を見つけたのです。


ヤフージャパンの記事なので、読んだ方も多いかもしれません。

私は読んで、ほぉー!と嘆息致しました。
といっても、驚いたというより、やっぱそうなるよね、という感想の方が近いかも。

まあこれに似た形態で暮らす人たちって他にもいるよな、と、たとえば有名ニートの Phaさんのことを思い出しました。
ら、数年前の記事でちゃんと言及されてた。

(ついでに、理念が意味不明だなと思って本家のサイトで調べたら脱字じゃねーか!しっかりしろ日経ビジネス!
正しくは、「公的支援に頼らず、さまざまな人が集まり、共生していくこと」だそうです)

「公的支援に頼らず」が少し引っかかるけれど、いろんな人が集まって助け合って生きていく、というのはまさに前回書いた内容につながるなと。
(困った時に公的支援を利用するのは権利だと考えているので… まあこの理念を考えた人の意図は分かります。最初からそれありきで頼るなよ、ということなんでしょう)


といっても、結局、この石井さんという人も、ギークハウスのPhaさんも、文章を書いて本を出したり、人を集めて運営したりっていう能力があるんだよね。そして集まってる人たちも、とりあえずはそれなりの人間関係が営める人たちなんだなと…
つーかギークハウスなんて、もはやただのエリート集団じゃない?と思ってしまうバリバリの悲しき文系人間)


更にアラフォー的に引っかかるのが、彼らの年齢…
みんな若いんだよね…
(実際、共生舎のサイトには、限界集落にニート・ひきこもりなど居場所のない若者の居場所を作る活動をしています。とある…)


等々、持ち上げたいのかこき下ろしたいのかよくわからん文章になってしまったけど、それでも今後は間違いなく、こういう人たちが増えるだろうなと。

コロナの影響もあるだろうし、これからの日本で暮らしていく「普通の人たち」は、ガシガシ働いたところで得られるメリットがほとんどなくなってくると思うので… 
だったら収入は低くてもいいから、もっとダラダラ暮らしたい(意識がもうちょっと高いと「好きなことをして生きたい」とか「世の中のためになることをしたい」とかになるだろうけど)と思う人たちは確実に増えるよな…

あと、いわゆる「海外沈没組」も、形態が違うだけで、根本的には同じだよなーと。
そう考えると、こういう流れはもうけっこう前から始まっているんだな。
(つかむしろ、フーテンの寅さんみたいな、住所不定職業不詳みたいな人たちって、昔から結構いたのでは…という気がしてきた)

ただ、医療とか老後とか、ハンディキャップのある人、あと子供がいる人たちだと教育の問題なんかもあるけど、そういうのも徐々に世の中の方が適応していきそう。
こういう人たちを受け入れる自治体が増えたりして、もっといろんな形態で広がったらいいなあー
若者だけじゃなくてさ…(結局そこが気になる)

と、考えていくと、これは悪い流れではないと思うのです。
バリバリ稼いでジャンジャン使いたい人はそうすれば良いし、グータラのんびり暮らしたい人は、郊外や田舎でそれなりの生活を送る…
理想的なんだけど、どうなんでしょう。

このグータラ、というのも、「たまに都会に出て行って働いてお金を稼いだらまた戻ってくる」とか「リモートワークで低空飛行で稼ぐ」とかが、ハードル低く実現できたらいいよなあー

なんかダラダラ書いてまとまらない感じですが、スキルがないとか特技がないとか、そういうことで思い悩むだけではなくて、こういう世界もあるんだなーと、少し希望を持ったりするのも、悪くないんじゃないかと思います。はい。








このブログの人気の投稿

カナダに肉は持ち込めないというのは本当なのか

人々がカナダを去る理由

住んで5年、カナダの闇が見えてきた