「人は人で、自分とは違う」って心から思えないと人生はしんどい

 


ものすごく今更なんですが、人生って、「人は人、自分は自分」って心の底から思えてないと、結構しんどいんじゃないかと思います。
日本にいる時はあんまりそういうことを感じたり考えたりしなかったんですが、最近しみじみとそう思うことが増えて、なんでかなと思ったんですが、理由の一つに周りのカナダ人(厳密にはカナダ人に限らず、いろんな国から来ている人々なんですが)から、「人は人。自分とは違う」という姿勢を学びつつあるのかもしれません。

日本って、まあ最近は少しずつ変わりつつあるとは思うんですが、結構均質化されているというか、似たような生まれ育ちの人が集まって暮らしてるので、「これくらい言わなくてもわかるよね」とか「そんなの常識でしょ!」とかって言説が通りやすい社会なんじゃないかと。
そういう中で、ちょっとでも自分の常識では理解しがたい言動をする人がいると、「なんでこれくらいできないんだよ!」とか「あの人ちょっとおかしいよね」と、ストレスに感じやすい。

しかし、基本的に100人いたら、100人ともみんな違う感性、思考をもっているので、実際はそんな簡単には通じ合えないはずなんですよ。
これ、カナダに来てから、というより、今の職場でしみじみ感じるようになったことでもあります。
何せみんな生まれ育った国、カルチャーがばらっばらですので、「普通こうでしょ!」が一切通じない。日々、「なぜそうなる」「どうしてこうなった…」の連続な訳です。

そういう環境の中で暮らしていくうちに、なかなか昔は思えなかった「人は人」っていう考え方が、少しずつ自分の中にしっくりと馴染んできたような気がするのです。
いや、前から頭では「人は人」って思ってはいたけど、心の底からそう思って納得できていなかったというか。
で、「人は人、自分とは違うんだ」って心から思えるようになって、少しずつ不毛なストレスが減ってきたような気がします。


たとえば、いきなり生々しい例えにはなりますが、先日、以前からの友人に永住権が降りたんです。なんと、申請からたった5ヶ月で。もちろん「おめでとう!本当に良かった!」という気持ちが98%ではあったんですが、残りの2%くらい、心のどこかで、「いいなあ… たった5ヶ月で降りるなんてズルい…」というドス黒い気持ちが沸き上がってしまったんですね。
しかしそこですぐに、「いやいや… だって彼ら(夫婦)は、ずっと前からめっちゃ一生懸命働いてたし、それなりにつらいこともたくさんあったし、エクスプレスエントリーで申請してたんだから、そりゃ私とは違って早く降りるわ。比べるのがおかしい」と思えたんですね。

これ実は、前にレイオフされた際、また別の友人夫妻がサクサクーと永住権申請に進んで、その背中が遠ざかるのを泣きながら見ているしかなかった時にも、同じようなことがありました。その時も、「ズルい… なんで私だけ…」とジットリしていたんですが、「いやいや、だってそもそも彼らとはバックグラウンドから何から何まで違うんだから、ズルいもクソもない」とちゃんと納得して、グジグジ腐ることなく、気持ちを切り替えられたんです。

人を妬む気持ちって、どうしても沸き上がってきてしまうものだし、それがモチベーションになることもあるかとは思うんですが、基本的には人を羨んだって仕方ないので、「人は人」ってすぐに気持ちを切り替えられた方が、気分良く生きられると思うんですよね。
「人は人。自分とは違うんだ」と、前向きに努力していく方がよほど生産的だし、実りある日々を送れるといいますか。


更にこっちが本題ではありますが、これ、他人への怒りを鎮めて心穏やかに生きるためにも必要な考え方だなあと最近思いまして。

たとえば、仕事のできない同僚とか、トロい後輩にイライラして、「なんでこんなこともできないんだ!」「気が利かなすぎ!」と思うことって、多々あるのではないかと。
もちろん本人も自覚していて、改善したいと思っているのであれば、あれこれ指摘したり指導したりで頑張れば良いと思うのですが、そうではない場合。もしくは、仕事ではなく、家族とかパートナーとか、友人の場合。「何でこの人はいつもこうなんだ…」と思うことがあって、毎回それをぶつけてはケンカになったり険悪ムードになったり。
こういうとき、いかに早く、「そもそも自分とは違う人間なのだから、通じ合えなくて当たり前なんだ」と思えるかが、結構重要な気がします。いくら家族やパートナーとはいえ、完全に別の人間なので、こっちの思い通りに動いてくれるわけがないのです。それを理解した上で、じゃあどうするか、と考える方が、ストレスをため込んでいるよりよほど生産的ですね。

これについてはまた別の機会に書きたいと思うのですが、まあ悪く言えば「あきらめる」ことが肝要なのかなと思った訳です。
あきらめるといっても、「無駄なんだ…」と、そこで終わりにするのではなく、「じゃあ、どうするか。」と気持ちを切り替えると言う方が近いかも。

というわけで、もうこの世の中、常に、「人は人。自分とは違うのだから、分かり合えなくて仕方ない」という気持ちでいることが大事かと。
「なんでできないんだ!」とか、「普通わかるだろ!」とかは、全部、自分基準なので、他人には通用しません。当たり前なんだけどね、結構忘れがちなんですよね。

最初に書いた通り、カナダはいろんなバックグラウンドの人が集まって暮らしてるので、「言わなくても分るだろ!」とか、「普通やっておくよね?」とか言ったところで、のれんに腕押し。「ハア?」と言われておしまいです。
なので、だんだんと、「あ、もうみんな完全に別個の考え方を持ってて、自分とは全く別の人間だ」ということをしみじみと理解していきます。

日本にいて、日々、自分と似たようなバックグラウンドの人とばかり接していると、ついつい、「なんでこれくらい分からないんだ!」とか思ってしまいがちですが、イライラが溜まった際には、「人は人、自分とは違う」という合言葉を一度心の中で唱えてみると、日々のストレスが減って良いかもしれません…











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