「向き不向き」ってあるのか

 

次回は永住権シリーズの番外編を書くとかいいつつ、全然関係ないお話です。

結構前からフンワリと考えていたことなんですが、「向き、不向き」ってホントにあるんだろうか?と。どうなんですかね。

おそらく多くの人が普段から、自分のことや他人の様子について、「ああ、この仕事向いてないわ…」とか、「センスないなあ」とか、はたまた「あの人はホントに向いてるよね」とか言ったりしてると思うんですね。

わたくし自身についても、前職については常に「ああ、私この仕事マジで向いてねえわ… 永住権取れるまで(取れてからも?)何年もこれやるのか…」とか考えてましたからね。まあその嘆きが天に通じたのか、幸か不幸か失職致しましたが…
日本にいたときも、某大手運輸会社で貿易事務に挑むも、全然意味プーの日々で、結局一年足らずで職を辞することにしましたが、最後の最後まで輸入のプロセス、必要書類等がまったく理解できず、ついでに社風も合わず、ホントにしんどい日々でした。その経験ゆえに、「私は貿易事務は向かん!つまらん!」という強い思い込みが染みついて、以来、一度も貿易事務の世界には足を踏み入れておりません。


で、他の人を見ててもこういうことはあります。顕著なのが今の職場で、たとえばキッチンスタッフ。要領よくパパパッと料理を作って、手が空いた途端に他のスタッフの補佐に回り、私が皿洗いしてればサッと横に来て食器の片付けなどを手伝ってくれたりするような精鋭もいれば、何をやらせてもドンくさく、器具を片っ端から壊し、材料を勝手な方法で保管して全部腐らせ、もう救いようのないスタッフもおるわけです。(余談だが、前者はめったにおらず、ほとんどのスタッフが後者である。オワテル)

これはサーバーも同じで、そもそもの性格がめっちゃフレンドリーで、投入された初日から「素晴らしいサーバー!」とレビューに書かれてしまうような逸材もいれば、緊張ゆえか、接客態度はカタく、要領も悪く気が利かず、毎回水をこぼしたりやらかしてしまうスタッフもおると。
こういうのを見ていて、つい私たちは「あいつはセンスないな…」とか、「あの子は向いてないね」とか言ってしまうのでありますが、果たして本当にそうなんだろうか?と思った次第であります。


でも、この「向き不向き」って一体何なのか?



数ヵ月?の思索ののちに、このいわゆる「向き不向き」ってものを形成する要素には、主に2つあるのではないかと考えました。
つまり、

①それが好きか?やってて面白い、楽しいと思えるか
②経験値

です。

たとえば上記のわたくしの職歴で考えてみると、まずわたくしは貿易事務についてズブの素人でございました。つまりは経験値ゼロ。対して、指導役にあたったひとは、入社以来一度も部署異動を経験していないというその道のプロ。もう私が何を分かっていないのかすら理解できない。当然、話は噛み合わず、結果、雑用などを与えられ、わたくしの経験値は一向に上がらない。更に、体育会系的な社風なども肌に合わず、日々、面白い、楽しいと感じる要素はいっさいゼロ。
その結果、わたくしは自分を「貿易事務に向いてない」と結論付けたわけです。

あるいは、上記のステキサーバーについて言えば、実は、彼は過去に大手レストランチェーンで、マネジャーのような役職についていたことがあるという。つまり、経験値がすでに並ではない。そこへさらに、元々のフレンドリーなキャラ。根が陽気で、初対面の人にもばんばん話しかけるし、いつも笑顔。当然、サーバーの仕事も楽しんでやっている。
そういう人物なので、全員が口をそろえて「彼はサーバーに超向いている」というわけである。

どうですかね。

この推測が正しいとして、今現在、自分がやっていることに対して「センスないわ…」とか、「自分はこれに向いてない…」と感じているようだったら、この考え方を応用できないものでしょうか。

たとえば、今やっていることが、楽しいけれどヘタクソ、一向に成果が出ない、というのであれば、それはおそらく経験値が足りてないだけであろうと。もしくは長く続けているにもかかわらず身に付かない、実らないというのであれば、やり方を変えてみる必要があるのかも。
いずれにせよ、「楽しい、好きだ」と思うのであれば、続ければ良い。

(ちなみに冒頭に例に挙げたしょーもないキッチンスタッフはその後、意外なことにそれなりに仕事ができるようになり、やれやれやっと育った… と思った途端に他店へ転職していきました。オイ…)

今やってることがつまらない上に成果が出ない、というのならやめるのが良いかもしれません。といっても、仕事とか勉強とか、簡単にやめるわけにいかないことも世の中多々あろうかと思われますので、この場合はひたすら経験値を積むしかないかなと。
その中で少しでも楽しみや、やりがいのようなものを見つけられたら吉。でも、あまりにも日々が苦痛、とかだったら、やっぱりやめることも検討すべきかなと。
しかしここで一つ思うのは、経験値が足りない→うまくできない→つまらない、楽しめない、というケースも世の中結構あるのではないかなと。
この点の見極めも重要だろうなと思われます。なぜつまらない、面白くないと感じるのか、という点について見直してみる必要はありそうです。


面白くないけど経験値があって、それなりにうまくいっているというケースも多いかと思われます。仕事とか、もしかしたら大半の人はこれかも。それはそれで良いんじゃないかなあと思います。それで生活が営めるとか、家族を養えるのなら続けていけば良いし、「いや、やっぱりつまらん!なんだよこの人生!」とか「もっと毎日楽しくワクワクして暮らしたい!」とか思うなら、何かを変えるべきなのかもしれない。

で、最後に、好きで楽しくて面白くてしょうがないし、それがまた成果になっております!というのなら最高で、もうそのまま突き進んで下さい。もしくはそこまでいかずとも、まあ嫌いじゃないし、苦でもない。で、それなりに結果も出ている、という程度でも十分素晴らしいと思います。


こう考えてみると、好きで頑張ってるのに結果がついてこないから、「自分は向いてない」と思ってあきらめてしまうというのが一番もったいないことだなあと思われます。
それは単純に、経験値がまだ足りないだけなのでそのまま続ける、あるいはアプローチの方法を変えてみることで状況が良くなる可能性が高いのではなかろうか、と。

長くなってしまいましたが、そんなことを考えておりました。
おしまい。








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