「純ジャパ」という言葉について思うこと
温泉に浸かるおサルさんたちである。いいですね、温泉。私も入りたい。
それはさておき、ツイッター等で英語学習界隈をフラフラ徘徊していると、かなりの割合で目にするのが「純ジャパ」という言葉である。まあ、「純粋なジャパニーズ=海外滞在歴ありません」という意味で使われているようである。「私は海外経験ないですけど、努力してここまで英語ができるようになりました~」みたいな意味で使われているケースが多いように思う。ちょっとググってみたところ、もともとは帰国子女の多い大学などで、そうではない若者たちが自虐気味に己のことを指すときに使い始めたのが最初だとか。ほんまかいな。
で、ご存知の方も多いとは思うんですが、この「純ジャパ」という言葉が有名になって、だんだんと市民権を得るにつれ、どうしても批判にさらされることも増えてきたようで。まあ確かに、ある意味センシティブな言葉であるよなあと私も思うわけであります。
というのは、どうしても「純粋なジャパニーズ」と、そうではない人たちを区別している、もっといえば、差別的なニュアンスを感じてしまう人たちがいるわけです。もちろん「純ジャパ」を自称している当人たちは、自虐的な要素はあれども、誰かを差別しているつもりなんて毛頭ないということは分かっております。だから、「差別的だ」と感じる人たちに「考えすぎwww」とか、「言葉狩りだ!」とか言うのはめちゃくちゃ容易い。
容易いが、やっぱり少なくとも、差別されていない側、差別する側に立っている人間がそれ言ったらアカンやろ、とは思う。
他国の言語を学ぶということは、要は海外の人たちとコミュニケーションを取りたいということだと思うんですよ、大抵の場合。いろんなバックグラウンドを持った人たちと渡り合っていきたい、他国の文化を学びたい!そういう志を持った人たちが、「純ジャパ」とか、無邪気に言ってるのはどうにも頂けませんね… と思ってしまうわけです。
それにしてもなぜ今更こんな周回遅れのブログを書いたかと申しますと、先ほどとあるツイートを拝見しまして、「せやせや、これと同じなんよね」と膝を打ったからでございます。
それは、カナダのニュースなんか見てて、イケメンのトルドー首相なんかがいつも「Canadian... 」と言うたびに、「ここに私たちは含まれているんだろうか… カナダ生まれで市民権があるわけでもなく、永住権すら持っていない私たちが…」と、結構、毎回きっちりとモヤっているのです。コロナによって経済的打撃を受けた人たちへの緊急手当てとか、今だとワクチンの配分とか、そういうニュースを見るたびに、「この、"Canadian" に、私たちはカウントされているんだろうか」「それとも純粋にカナダ国籍を持つ人たちだけを、永住権保持者だけを指しているんだろうか」と不安を感じているわけです。
そんなわけで、もちろん全く同じ状況というわけではないですが、日本に住みながら、「純ジャパ」という言葉に引っかかりを感じている人たちの心情が、少なからず分かる… ような気がするのです。
一言でいうと、そう、疎外感。
なんかうまくまとまらないいつもの流れですが、そんなわけで、他国の文化や人々をより深く理解していきたいと思っているのなら、言語学習に勤しむだけではなく、たまにはこういうところに少しは思いを馳せてみてもいいんじゃないかな、などと思うわけでございます。