私に悩みがない理由



突然ですが、こんな負け組一直線のアラフォーですが、私には悩みがありません。

この世知辛い世の中、「悩みのない人なんていない」等の言説がはびこっておりますが、います。ここにいます。ちなみに、「大変じゃない仕事なんてない」ともよく言われておりますが、あります。私、激ラクな仕事してます!毎日お菓子食べながらネット見て、飽きたら友達とLINEして一日過ごしております!



まあいつか痛い目にあうとは思っておりますが。

そう、悩みのない理由。
こんな、アラフォー独身、恋愛の気配などとうに消え失せ、友達も少なく、貧乏、薄給、頼れる親族もおらず、天涯孤独、このままでは「下流老人」「孤独死」まっしぐら!のダメな女が、どうして悩みがないなどと豪語できるのか。

私からすれば、よほど恵まれた環境にありながら、それでも尚、「悩みがありすぎて」などとおっしゃる御仁が多い。そしてそういう方々の「悩み」とやらを聞くと毎回思うこと、それは


「それ… 悩み事とちゃいますやん…」 ということでございます。


私からすると、悩んで解決することなど、実は本当にわずかなのでございますよ。いや、悩んで解決することなんて実はないんだと思っています。
「熟慮して」とか、「さんざん吟味して」、その結果、選択する、行動に移す、等の状況は大いにあると思います。
が、それはもはや、「悩む」という段階ではなく、「解決への具体的な道筋を探っている」状態、つまりは、「現実的な解決方法を考えている」状態なので、悩みとは言えないと思うのでございます。

その一方で同じくらい多いのが、「それ、悩んでも仕方なくね?」という状況でございます。

自分の力ではとうてい変えることのできない状況について、くよくよと思い悩んでいる状態。こういうのも、とても多い。
しかし、いくら考えても太刀打ちできぬことであれば、それはもう時間の無駄なのでございます。
己の力量でいかんともしがたい状況について、あれこれと思い悩むこと自体が、果たしてこの短い人生において有益なのかどうか、ちょっと考えてみてほしいと思うのですよ。


たとえば、仕事がもうどうにもこうにもハードで尚且つ人間関係も最悪、という場合。
よくあるブラック企業にありがちな、連日のサービス残業、土日出勤、人間関係も崩壊、家には寝に帰るだけで、もはやなんのために生まれてきたのか状態。


単純に考えれば、現状を変えるにはもう、選択肢は二つしかありません。

すなわち、辞めるのか、続けるのか。

辞めたところでもう後がない、年齢的にも職歴的にも、その他もろもろの状況から鑑みて、転職は不可能である、とご自身が考えるのであれば、答えはもう、「続ける」他にないのでございます。
続けると決めたからには、その状況を己が変える他に、もう選択の余地はないのでございます。

逆に、思い切って辞める、を選択した場合。
その後数年にわたってプーになるとか、一家もろとも路頭に迷う等の状況は新たに生じるかもしれませんが、しかし、「仕事がハードで心身共にしんどい」という状態からは、少なくとも、そして間違いなく、解放されるのでございます。


「辞めたいけど辞められない」という状態を「悩み」とするのであれば、それは間違いではないでしょうが、そうしている時間が、果たして当人にとって有益なのか否か。


要は、「悩んで解決することなのであれば、とことん思い悩めば(というよりも、よ~く考えれば)良い。」「しかし、いくら考えても解決しないことであれば、それはもう暗く考えている時間の無駄」ということでございます。

翻ってわたくしの現状について考えてみましょう。

まず、「彼氏もおらず天涯孤独」。これがもし心底おそろしい!というのであれば、今からでも死ぬ気で婚活をするしかございません。好きでもなんでもない、奇跡的に引っかかった殿方に喰らいついて、あの手この手で絡め取れば、この不安からは解放されることでしょう。
他にも、「金が無い」。これもまた、死ぬ気で資格取得等の勉強をするなり、必死こいて努力を重ね、それなりの給与の仕事につくことを目指せば、解消される不安なのだと言えましょう。

しかしそれをしないということは、まあわたくしがまだまだ甘ちゃんであるがゆえ、もしくは、一人路上で野垂れ死にすることをたいして恐れていない(というよりも、まだリアリティがない?)ということでありましょう。


等々、家庭問題やら健康問題の深刻な事態に、私がまだ巻き込まれていないがための戯言ということもできましょうが、上記のように考えるようになってから、私は少し生きるのがラクになりました。
少なくとも、いくら考えたところで解決しないようなことであれば、それについてあれこれと考えるのは精神衛生上よろしくないし、時間の無駄だと思うのです。

最後に、かの美輪明宏さまの名言ですが、「悩みを人に話さないのが大人」だそうでございます。
もちろん、経験豊富な先人に助言を乞うのはありとして、それでも単純に共感や同情を誘うのはNGで、できた大人は一人静かに思いを巡らせ、解決へと己自身を導いてゆくものだそうです。
そうしないと、人間としての力量が育たぬとのこと。
なるへそ~と、膝を打った冬の始まりでございましたことよ






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