カナダの冬、身を守るためにも、順応しなくて良い3つのこと!

 


ハイ、クリスマス直前に、意味不明なタイトルなんですが。カナダに来て4年?5年め?(カウントの仕方が分からないアホ)のわたくしが、しみじみと思うこと。それは「身を守るためにも、必ずしもカナダの冬に順応しなくとも良い!」です。どういうことか。何を言っているのか。3つの項目を、順に見てゆきたいと思います。

(全然関係ないですが、去年の今頃はまさかのレイオフで目の前真っ暗状態でした。今年はこんなふうに平和に過ごせること、何よりも周囲の皆様、そしてツイッター等を通じて案じて下さった皆様に心から感謝申し上げます。)


①カナダ人のように薄着で頑張らなくてもいい!

コレ。これはまず何よりも声を大にして申し上げたい。カナダに限らず、アメリカやヨーロッパ等に滞在されている、されていた方たちはご存知かもしれませんが、現地民はどうも、冬のえげつない氷点下でも、薄着でのほほんと過ごす傾向がある。わたくしもカナダに来たばかりのころは、「こ、この程度の気温で、厚着をしていてはいかんのだ。カナダの地に生きる者として、もっと涼しい顔で、薄着で過ごさねばならん!」とかアホなことを考えて、現地民と同じような薄着で過ごすことを試みたこともございました。

悪いことは言わん。寒けりゃ普通に厚着をして過ごせ。命を守れ。たとえ現地民がフランネルシャツ一丁でふらついていようとも、隣の中国人のごとく、ロングダウンを着て歩め。それが己の健康を守る唯一の手段であるよ。誰もそなたのことを笑ったりはせぬ。豪雨のときに、フーディ一丁で歩む現地民を誰も笑わぬように、未だ氷点下にならぬ気温のもと、カナダグース並みの重装備で街をゆくそなたを、誰も決して笑わぬであろう。

いや、マジで、いいんです。自分基準でいいんですよ。周りがたとえまだ薄着だったとしても、自分が寒いと思ったら、あったかい格好をして出かけましょう。下手に地元民を意識して同じような薄着でうろついても、健康を損ねるだけです。所詮奴らとは経験値が比べものになりません。ヒートテックでもセーターでも、なんでもいいです。とにかく自分の身を守りましょう。


②室内はまばゆいくらいに明るくていい!

何を言っているのかわからねーと思うが、分かる人には伝わるはず、と思いたい。そう、カナダの室内は暗い。観光でホテルに泊まったことがある人にも思い当たるフシがあるかもしれない。もう一度言う。カナダの室内は暗い。ヘタすると間接照明しかなかったりする。レストランとかも、なんにも見えねーYO!と叫びたくなるほど暗いことがある。料理も、ツレの顔もよう見えんほどに暗い。掃除が行き届いてないのをごまかすためなんじゃねーNO?と疑いたくもなるほどに暗い。

これまた私は、カナダに来た当時、「日本が明るすぎるんや!」と思って、薄暗い部屋で薄暗い気持ちのまま暮らしておった。日本に一時帰国した際にも、実家のあまりの明るさに驚愕したくらいである。

が、しかし。

やはり、部屋は明るくて良いのだ。いや、明るい方がいいのだ。明るくあるべきである。そうしないと、日照量の少ないカナダの冬、どうして鬱っぽくなるのである。最初の2,3年、わたくしは完全に冬季鬱気味で、やたら眠く無気力(っていつもやんけ、と思わなくはないが)で、常に甘いものを欲し、明らかに正常な状態ではなかった。

というわけでわたくしは今年、ストリングライト?なるものを買った。まだ届いていないが、これで部屋をラスベガス並みにギランギランに照らしてやるつもりである(誇張表現)。今までは北米のおしゃれキッズ御用達と思っていたが、まさか冬季鬱防止策になるとは想像だにしていなかった。物事はなんでも体験してみないと分からないものである。


↓こういうやつ。壁に飾ったりします(説明力)



③クリスマスはフル無視でもいい!

これ、今年、はっきりと覚醒したね、私は。
もちろん最初の頃は、「本場の(?)クリスマス!」と、新鮮な気持ちで楽しんでおりましたよ。クリスマスマーケットとか、本物の(?)クリスマスツリー、クリスマスカード… と、現地の習慣を心から楽しむ一方で、どうしても現地民のテンションについていけないという居心地に悪さが、心の片隅にございました。あと、やっぱりクリスマスって、ガチの宗教行事なんですよね。そこにも違和感があって拭えず。

で、今年はっきりと、「別にクリスマスを祝わなくてもええんや!」と自覚するに至ったのは、以前からフォローしているとあるインスタグラマーとフォロワーのやりとりを見たときでした。@Brunchboys というタグで検索してもらえば一発で見つけられると思うんですが、ニューヨークベース(だよね?)で活動する、美味しいものインスタグラマー(?)で、どうやら彼のルーツはジューイッシュ、ユダヤ系らしい。

そんな彼に、とあるフォロワーが「クリスマスはジューイッシュとしてどう過ごすの?」的な質問をしていて、それに対して彼が、「クリスマスは祝わん。ジューイッシュとして、クリスマスの日は中華料理を食う!」と回答していたのである。(かなりうろ覚えで適当です)
それを見て、わたくしの中で、ここ数年、胸の内でもやもやとわだかまっていたものが、スーッと解き放たれる感覚を覚えたのでございます。
(ちなみにこの彼は、コロナによってアジア系がバッシングを受けたりしていた当時にも、「みんな中華街にメシ食いに行って応援しようぜ!」とか呼びかけていたナイスなガイである。)

せや… ニューヨークもだけど、カナダもまた、様々な人種、バックグラウンドをもつ人々が暮らす土地。クリスマスだからといって、特別に祝ったり集まったりする人たちだけじゃなく、普通に、平々凡々と過ごす人たちだってたくさんいるのだ、と、今年、遅ればせながら悟ったわけでございます。

言うても、当日はやはりほとんどのビジネスが休業するし、否が応にも、クリスマスムードは私たちの生活に流れ込んではくるけれど、無理にそのテンションに合わせることはない。

というわけで、私は日本人らしく、当日KFCを食らう計画でおります!(が、KFCはおろか、Timすらも休業という冷酷な現実)



つらつらとしょうもないことを書いてきましたが、これがカナダに来て4年?5年?のわたくしが素直に思う事柄でございます。

あ、もちろんカナダのクリスマスを存分に堪能したい人はそれで良いと思います。その場合、映画「エルフ」と「グリンチ」はあらかじめ鑑賞しておくことを強く推奨致します。(とか言って私は「グリンチ」は未見です)

ただ、現地民と何から何まで同じように過ごす必要はなく、自分が心地よく、快適に過ごせることが一番大切であると、今更ながら深く理解した、というお話でございました。
おしまい。
 



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