大げさに嘆くのをやめる

世の中、思い通りにいかないことってたくさんあると思います。特に今のように、世界中が混乱に陥っていて、イレギュラーなことが次から次へと起こるような状況の中では、むしろ思い通りにいくことのほうが少ないのではないかでしょうか。ずっと何年もかけてきた計画がグダグダに崩れてしまったり、楽しみにしていたイベントがおじゃんになったり、コトの大小に関わらず、予定が狂ってしまったという人も多いでしょう。
しかし、そんなときに必要以上に怒りまくったり、嘆き悲しんだりしても、一時はすっきりするかもしれませんが、結局何の解決にもならないどころか、より事態を悪化させてしまう可能性もあるんじゃないかと思ったりするわけです。

かくいうわたくしも、今回のパンデミックによって、永住権申請の予定が狂ってしまい、一時はちょっとネガティブ思考に陥ったりもしました。が、幸いなことにワークパーミットの期限がまだだいぶ残っていることと、職場からレイオフされずに済んだので、なんとか気持ちを立て直して、前向きにやっていこうと考え直せたところです。

が、もちろん今回のパンデミックによって、数年越しの計画が大きく崩れ去ってしまった人、目標を見失ってしまった人、取り返しのつかない事態に陥ってしまった人が、無数にいると思います。
それを嘆くなとか、グチるなとか怒るなとか言うつもりはいっさいないのです。
前にも書いた通り、怒りはモチベーションの偉大な源となりますし、悲しみを抑圧してしまうことはとても危険なことです。
私自身、あまり人間として上等ではないため、普段からグチを言いまくって、周りの優しい人たちにうんうんと聞いてもらっています(これも直さないとなあ)。

だがしかし。

大げさに嘆いてみたり、必要以上に怒りを爆発させてみたりというのは良くありません。
良くないというのは、周りにとっても迷惑ですし、何よりも自分にとって良くないと思うのです。
なぜか。

まず、自分自身の価値を下げる。周りから、「あの人はイレギュラーなことがあると、すぐに取り乱してワーワー騒ぐ人なんだな」とか「怒っても仕方ないことなのに、あんなふうに激高する人なんだな」なんて思われてしまう可能性が高い。
こういう非常時こそ、人間性がよく表れるとはよく言ったものです。

そんなこと言ったって、今までずっと夢見て頑張ってきたことが、コロナのせいで台無しになったんだ!怒りを爆発させて何が悪い!と、言いたくなる人もいるでしょう。
あるいは、とんでもない不幸、悲劇に見舞われたとき、人はどうしても取り乱したり、誰かのせいにしたくなったりと、みっともない一面をさらけ出してしまうものです。(私などは間違いなくその筆頭だと思います…)

しかし。

身もフタもないことを言ってしまえば、「仕方ない」のです。

残酷なことに、人生って、そういうことが起こるものなのです。
とんでもない幸運に見舞われることもあれば、想像を絶する悲劇に襲われたり、自分だけがどん底に突き落とされるようなことが起こるものなのです。

特に今回のパンデミックについて、よくソーシャルメディアでも「コロナが憎い」と書いている人がいます。気持ちは分かりますが、コロナを憎んでも何も変わらないのです。それをスマホから書き込んでみても、なんにならないのです。そしてヘタをすると、その感情は人種差別につながったりします。それってもう最低のことです。何の解決にもならないどころか、なんの責任もない人たちを憎んだりバッシングしたりするなんて愚の骨頂です。

じゃあどうするのか。

もうこれ完全に自分のことは棚に上げて語りますが、そういうときは「仕方ない、じゃあ、どうしようか」と切り替える。これができる人だけが、どんどん先に進んでいけるんだと思うのです。

凡人たちが「コロナのせいで人生狂った!」「ずっと追いかけてきた夢がめちゃくちゃになった!」と、スマホに向かって呪詛の言葉を書き連ねている間に、デキる人たち(って語彙力…)は「状況が変わった、仕方ない!じゃあどうするか」と考えて、次へのステップに進んでいるわけです。

なかなかできることではありませんが、少なくとも「コロナが憎い!全部台無しだ!うぎゃー!」と騒ぐのをやめて、「起きてしまったことは仕方がない。」と心を鎮めるだけでも、だいぶ楽になるはずです。
そして一回それをやってみると、案外難しいことではなかったりします。


(なーんて偉そうなことを書いていると、痛い目に遭うんだよなあ…)


起きてしまったことに対して、もしもこうだったら、とか、ホントはあーだったのに、とか考えている時間は無駄です。少なくともポジティブなものは何にも生み出しません。むしろ、そのままネガティブ思考に埋没していって、周りからはめんどくさい人間として扱われるのがオチです。
そんなヒマがあったら、情報収集して、これからどう動くべきなのかを現実的に考えるべきです。強い人たち、賢い人たちはそうしていると思います。

というわけで、たいした具体例もなく、偉そうにいろいろ書き連ねましたが、「仕方がない」とある意味あきらめて、無駄に嘆くのをやめたことで、実際私の心はラクになりました。
「こんな不幸に襲われるなんて、私ってかわいそう!」とかギャースカ騒いでる間は楽しいかもしれませんが、やっぱりいい年こいた大人がそれやってると、ちょっとアホに見えます。それよりも淡々と現実を受け止めて、前向きに生きる戦略を練った方が、結局は自分のためになると思いますし、単純にカッコいい。

なかなか簡単にできることではないかもしれませんが、少なくともこういう意識を忘れないようにしたいなあと思う次第でございます。
















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